自信をなくしたサラブレッド
元教員のkuonです。
3年前に小学校教員を辞め、ハンドメイド生活をしています。
ハラスメント王の校長が学校を去ってから、私の教員生活には平穏が訪れるはずでした。
2年目になった私には、色々な大きな授業がまわってくるようになりました。
初めは任されるということが嬉しくて嬉しくて…でも、気づいてしまったのです。
失敗することが怖くなっている自分に。そして、成功しても喜べなくなっている自分に。
決して教員の子どもだからといって皆が皆有能なわけではありません。勝手に期待されて勝手にがっかりされる、子どもの頃から幾度となく経験したことであったはずなのに、教員になってからは「サラブレッド」という言葉が私を苦しめました。
それでも大きな授業はまわってきました。
若い先生にどんどん経験させる、それは理解できますし賛成です。
でもね、私の1つ下の先生、2つ下の先生にはほとんどまわってこなかったんです。
それで、彼女に言われました。
「kuon先生がいて私ラッキーです。面倒な授業は全部kuon先生のところにいくので」
授業を失敗するのが怖くて、夜中まで学校で教材研究をしました。
夜眠れなくなり、やってもやっても安心できない自分がいました。
ある日の朝、学校の駐車場で車から降りられなくなりました。
サラブレッドと呼ばれた日
こんばんは。
元教員のkuonです。今は、ハンドメイド生活をしています。
サラブレッドと呼ばれた日。
それは、私の教員1日目のことでした。
初日、挨拶のために早めに出勤した私に校長と教務が言いました。
「あなたはサラブレッドだから…」
私の家系は代々教員です。家族で教員でないのは姉だけ。
地元で就職したため、職場の先生方は皆両親のことを知っていました。
この日から1年、
それは私の自己肯定感を急降下させるには十分な時間でした。
失敗すれば「○○先生の娘なのに…」
頑張ったことがうまくいっても「いいわね、親に教えてもらえて」
小学校の頃、読書感想文や作文で表彰される度に、
「そりゃ両親が国語の先生だもんね」
と言われたのを思い出しました。
私をサラブレッドと言った校長は、ハラスメントの集合体のような人で、1年後に学校を去りました。ここからの教員生活には平穏が訪れる!と、このときの私は信じていました。